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SDGsウォッシュはなぜ起きるのか?サステナビリティの本質に向き合える組織とは|脱炭素DX研究所レポート#09 前編

本レポートは、株式会社MIMIGURI デザインストラテジスト/リサーチャーである小田 裕和さんによる寄稿記事です。

サステナビリティの追求が企業経営に求められる中、グリーンウォッシュやSDGsウォッシュも指摘されています。こうした事象はなぜ起こるのでしょうか。「良さ」をキーワードに、本質的なサステナビリティを追求できる組織の姿を探索していきます。

ウォッシュと呼ばれる現象

2015年に国連によって採択され早10年になろうとしていますが、SDGsという言葉は相当に一般化したように思えます。数多くの団体・企業が、17個に分けられた目標に対してそれぞれどのようにアプローチしているかを表明し、大学生の活動にもSDGsを前提に置いたものが多くみられるようになりました。

この記事を読まれている方は、もう相当にその内容を熟知した方であろうと思いますから、具体的な内容は割愛させていただきますが、社会に広く課題意識を浸透させるという意味では、非常に大きな成果をあげていると言えるでしょう。

一方で、表面的にはSDGsを謳いながら、実態を伴っていなかったり、対外的なアピールを主たる目的にして指標を利用していたりするような、いわゆる「SDGsウォッシュ」という状況を指摘する声も多く聞かれます。

また、あまりにも「私たちは〜〜に取り組んでいます」というメッセージが先行するあまり、活動に取り組む人は疲弊し、メッセージを受け取る側も表層的な情報過多に陥って嫌になってしまうというような「SDGs疲れ」も生じています。

こうした「SDGsウォッシュ」や「SDGs疲れ」というような現象は、なぜ生じてしまうのでしょうか?

そもそも、こうした現象は決してSDGsに限らず、起きてきた現象です。例えば、いつの間にか全く聞かなくなってしまった「プレミアムフライデー」もその一つでしょう。働き方改革の一環として毎月末金曜日は仕事を早めに終え、普段よりも豊かな生活をしようと謳われた取り組みでしたが、コロナ禍の影響もありつつ、2023年8月にひっそりとキャンペーンサイトが閉鎖され幕を閉じました。

開始当初はメディアも騒ぎ立て、居酒屋などをはじめ様々な企業がキャンペーンを展開し、多少なりともいつもと違う平日の午後を堪能した人もいたことでしょう。しかしながら、月末の締め作業などで他の曜日がより忙しくなっただけになってしまった人や、自分たちは関係がないと冷めた目で見る人も少なくなく、実際に利用する人も、普段より早く飲みにいく程度の広がりしか起きずと、豊かな生活の実現という当初掲げられた目標を達成した施策になったとは言えないでしょう。

そもそも私たちは「働き方改革」という言葉自体に、すでに「ウォッシュ」のようなイメージを持っているようにも思えます。実態や実感の感じられない活動や上辺だけのメッセージは、人々の取り組む意欲を削減させてしまうのです。

では、なぜSDGsの取り組みに対しても、こうした「上辺だけ」というようなイメージが生じてしまうのでしょうか?

「良さと向き合う」活動にしか、本質は宿らない

発しているメッセージと実際の取り組みが乖離しているケースは論外ですが、そうでなくてもSDGsウォッシュという現象が生まれてしまう原因はどこにあるのでしょうか?私は、安易な「良さの借用」が広がってしまったことにあるのではないかと考えています。ここでいう「良さ」とは「何を良いとするかの定義」のことであり、それを安易に借りてきてしまっていることが原因ではないかという仮説です。

SDGsの17個の目標のうち「我が社はこれだけ達成しています!」というように謳う企業は多くありますが、ただ単に達成している数を追っているだけの様相は、SDGsが定義する「良さ」を安易に借りて主張をしている状態と言えます。

もちろん、客観的な指標は大切です。企業や家庭が実施した省エネルギー化の取り組み、森林管理による温室効果ガス吸収といった活動によってもたらされたその温室効果ガスの排出削減・吸収量をクレジットという形で認証する「J-クレジット制度」などはその一つでしょう。こうした「見える化」の活動は、複雑化する一方のさまざまな諸問題を解決していく上で欠かせないものであり、社会全体が協力していくために必要な仕組みであると言えるでしょう。

しかしながら、数字を追いかけることが目的化し、地球環境のことに真に向き合おうとしなくなってしまえば、これらの活動も「ウォッシュ」と呼ばれる状況に陥ってしまうことでしょう。形骸化した「どこから借りてきた良さ」に、人々は「自分ごと」として向き合うことはできないのです。

裏を返せば、「ウォッシュ」という現象に陥らないためには、良さそのものに自ら向き合い、そのあり方を探究しようとすることが大切になります。単に指標を達成するのではなく、なぜその指標に向き合うことが重要なのか、どのようにその指標を達成しようとすることが良いのかを、自ら考えていくこと。あるいは私たちが何を「良い」とするのかを自ら定めようとすること。ここに向き合わなければ、本質が宿った活動となることはないでしょう。

では「良さ」と向き合うとは、具体的にどういうことなのでしょうか?

気になる続きは中編で。

著者プロフィール:
小田 裕和|Hirokazu Oda
株式会社MIMIGURI デザインストラテジスト/リサーチャー

千葉工業大学大学院工学研究科工学専攻博士課程修了。博士(工学)。デザインにまつわる知を起点に、新たな価値を創り出すための方法論や、そのための教育や組織のあり方について研究を行っている。特定の領域の専門知よりも、横断的な複合知を扱う必要があるようなプロジェクトを得意とし、事業開発から組織開発まで、幅広い案件のコンサルテーション、ファシリテーションを担当する。主な著書に『リサーチ・ドリブン・イノベーション-「問い」を起点にアイデアを探究する』(共著・翔泳社)がある。

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